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昨日、祖母の法事があった。
お寺内は妙に落ち着いて気持ちが良かった。
天気も良かったし、暖かかったしね♪
庭先の金魚にめがけて一枚。。ぱちり。
意外におばあちゃんこだった僕。
祖母が亡くなって以来、
墓参りにも行けず、ずっと気になっていた。
そういうこともあり、お寺に着いたときに
凄くホッとしたというか、気持ちが落ち着いた。
この祖母は母方で、僕が小さい頃は北千住の教習所で
住み込みの管理人として働いていた。
とても、優しく誰からも好かれる祖母の事が好きで
北千住に遊びに行くのは毎回とても楽しみだった。
祖父とのふたり暮らしだったのですが
僕が物心ついたときには、すでに祖父は寝たきりだった。
看病をしながら2人で暮らすということは
大人になった今、本当に大変だったのだろうと感じる。
そして、祖父が亡くなったときに
祖母の一人暮らしが心配で親戚のおじさん(母の弟)と
同居することになった。
しかし、あまりに急な環境の変化は祖母にとって予想以上に負担となった。
祖母は仕事を辞め、引っ越してすぐに痴呆症になってしまった。
そして、仕事の忙しいおじの家では
手におえなくなってしまい
僕の住んでいる実家にくることになった。
そのとき、僕と弟は親に呼ばれて
「おばあちゃんと仲良くできるか?」
と聞かれた。
幼かった僕は祖母のことが好きだったので迷うこともなく
純粋な気持ちで頷いた。
実際、同居することになると想像以上に大変だった。
体が健康で口調もはっきりとしていた祖母。
田舎で交通の便が悪かった僕の実家ですら
考えられないくらい遠くまで歩いて出かけてしまい
警察のお世話になることが多々あった。
母親が迎えに行くといつも楽しそうに警察の人たちと
トークを楽しんでいたらしい(笑
他人からみたら、どこが悪いのか全く分からない状態。
それで本当に苦労したのは母親だったと思う。
それでも、もちろん祖母のことは好きだった。
そんな状態が何年か続いて
最終的に体の自由もきかなくなってきたときに
祖母は施設に入ることになった。
そのころ、僕は遊びほうけていたので
施設に入ってからは 結局 一度もお見舞いに行かなかった。
母親に 「最近、おばあちゃんどう?」と
訪ねたり、写真をみせてもらうくらいだった。
更にそこから 何年かしたとき祖母は施設で亡くなった。
その知らせを聞いたのは、当時熱中していたスノーボードのため
長野県のスキー場で生活をしているときだった。
正直、そのときまで「死」ということが現実的に理解ができていなかった。
祖母がなくなったから、実家に帰らなくては。。。
とても事務的な気持ちだった。
そして、実際に亡くなった祖母の顔をみたときに
涙が止まらなかった。。。
同居するときに安易に受け入れた僕。
どれだけ、孝行したんだ??と自分に問いかけた。
何もしてあげられなかったと思った。
でも、後悔しても もうこの世にいないから何もしてあげらない現実。
本当に自分に腹が立った。
そして、もう後悔しないために
今できる事を一生懸命やって
絶対に後悔しないようにしようと決心した。
そして、昨日の法事が終わって みんなでご飯を食べに行こう
ということになり寺をでた。
近くのファミレスに行こうと言う事で出発して
親戚の車の後を自分の車でついていった。
最初に行こうとしたところに駐車スペースがなく
2件目のお店に行ったけど そこも車高の高い車が駐車場に入れず断念。。。
最終的に相談したわけじゃないけど
仕事でお世話になっている某商業施設に吸い込まれるように
先頭の車が入っていった。
僕が関わっている看板が大きく飾られているその場所。
きっと、おばあちゃんが誘導してくれたんだと思う。。。。
意外におばあちゃんこだった僕。
祖母が亡くなって以来、
墓参りにも行けず、ずっと気になっていた。
そういうこともあり、お寺に着いたときに
凄くホッとしたというか、気持ちが落ち着いた。
この祖母は母方で、僕が小さい頃は北千住の教習所で
住み込みの管理人として働いていた。
とても、優しく誰からも好かれる祖母の事が好きで
北千住に遊びに行くのは毎回とても楽しみだった。
祖父とのふたり暮らしだったのですが
僕が物心ついたときには、すでに祖父は寝たきりだった。
看病をしながら2人で暮らすということは
大人になった今、本当に大変だったのだろうと感じる。
そして、祖父が亡くなったときに
祖母の一人暮らしが心配で親戚のおじさん(母の弟)と
同居することになった。
しかし、あまりに急な環境の変化は祖母にとって予想以上に負担となった。
祖母は仕事を辞め、引っ越してすぐに痴呆症になってしまった。
そして、仕事の忙しいおじの家では
手におえなくなってしまい
僕の住んでいる実家にくることになった。
そのとき、僕と弟は親に呼ばれて
「おばあちゃんと仲良くできるか?」
と聞かれた。
幼かった僕は祖母のことが好きだったので迷うこともなく
純粋な気持ちで頷いた。
実際、同居することになると想像以上に大変だった。
体が健康で口調もはっきりとしていた祖母。
田舎で交通の便が悪かった僕の実家ですら
考えられないくらい遠くまで歩いて出かけてしまい
警察のお世話になることが多々あった。
母親が迎えに行くといつも楽しそうに警察の人たちと
トークを楽しんでいたらしい(笑
他人からみたら、どこが悪いのか全く分からない状態。
それで本当に苦労したのは母親だったと思う。
それでも、もちろん祖母のことは好きだった。
そんな状態が何年か続いて
最終的に体の自由もきかなくなってきたときに
祖母は施設に入ることになった。
そのころ、僕は遊びほうけていたので
施設に入ってからは 結局 一度もお見舞いに行かなかった。
母親に 「最近、おばあちゃんどう?」と
訪ねたり、写真をみせてもらうくらいだった。
更にそこから 何年かしたとき祖母は施設で亡くなった。
その知らせを聞いたのは、当時熱中していたスノーボードのため
長野県のスキー場で生活をしているときだった。
正直、そのときまで「死」ということが現実的に理解ができていなかった。
祖母がなくなったから、実家に帰らなくては。。。
とても事務的な気持ちだった。
そして、実際に亡くなった祖母の顔をみたときに
涙が止まらなかった。。。
同居するときに安易に受け入れた僕。
どれだけ、孝行したんだ??と自分に問いかけた。
何もしてあげられなかったと思った。
でも、後悔しても もうこの世にいないから何もしてあげらない現実。
本当に自分に腹が立った。
そして、もう後悔しないために
今できる事を一生懸命やって
絶対に後悔しないようにしようと決心した。
そして、昨日の法事が終わって みんなでご飯を食べに行こう
ということになり寺をでた。
近くのファミレスに行こうと言う事で出発して
親戚の車の後を自分の車でついていった。
最初に行こうとしたところに駐車スペースがなく
2件目のお店に行ったけど そこも車高の高い車が駐車場に入れず断念。。。
最終的に相談したわけじゃないけど
仕事でお世話になっている某商業施設に吸い込まれるように
先頭の車が入っていった。
僕が関わっている看板が大きく飾られているその場所。
きっと、おばあちゃんが誘導してくれたんだと思う。。。。
幼稚園に入るまでほとんどおばあちゃんの記憶しかないくらいです。まだ生存してますが、90歳!
私も何かできないかすごく考えます。
今は一つ見つけたので、早いうちに実現できるようにしたいなって、neeさんのブログみて感じました〜